ギャル語のパワー
とてもためになる動画と出会ったので、備忘的に。
云わずもがな、ギャル語=チャラいという先入観と、昔話というある種の生真面目なトピックとのミスマッチ、ギャップが可笑しみを産み出しています。
ギャップによる可笑しみ
こういった、ギャップにより可笑しみが醸される系には枚挙に暇がありません。たとえばスーパーササダンゴマシン様のマイクパフォーマンス。
2014年6月29日DDT後楽園ホール大会「スーパーササダンゴマシン 煽りパワポ」 - YouTube
こちらは覆面レスラーの不可解な暴力性とパワポを使ったプレゼンというかしこまったシチュエーションとの間のギャップが可笑しい訳です。可笑しいです。はっきり言ってね。もちろんいい意味で。
ギャップの条件は
ギャップによる可笑しみが理解されるためにはいくつかの条件があるはずです。前提となる事象を正しく認知できること。たとえばギャル語はチャラいもの、昔話はその対極にあるもの、みたいな。この前提が伝わらないと、可笑しむのは難しいのではないでしょうか。事象のベクトルが正しく読み取れるか、とも言えそう。いわば「あるある」と共感できるかですね。この事象のベクトルの向きが違っているところが、可笑しみのポイントなのでしょう。
しかし、上に挙げた例を参考にすると、実際にはもっとシンプルに表現できるのでは?と思います。すなわち、
マジメと非マジメとの組み合わせ
これです。緊張と緩和、より正確には、(緊張と緩和)×共感に、少なくとも私は、声を上げるほどの可笑しみを感じてしまうようです。
そして、最大のポイントは、「非マジメな存在がマジメな行為をする」という構図であること。あ、でも逆もありますね。エドはるみや小梅太夫など、マジメそうなキャラが実は非マジメ系。これは、自分がどちら側の人間かによって琴線が変わってきそうです。予想外の先が、自分と同じ側なのか、違う側なのか。私が思うに、着地点はより共感できる方が安心して可笑しめるのではないでしょうか。それもあって、根はマジメな私たちは、「非マジメな存在がマジメな行為をする」方により強い可笑しみをはじめとした強いインパクトを与えられるように思います。
ギャップ=ズルい?
改めて考えると、どうも私、ギャップに弱いようです。ただ、ギャップというのはズルい、強力すぎるという思いもあります。たとえば元ヤンが更正して好青年になった例。私はお世辞にも好青年とは言えない人間ですが、真面目に、人様の迷惑にならないように日陰を選んで歩いて来た身としては、そもそも不良不貞をしていないほうを評価してほしい、自分でも評価したいはずなんです。だけど元ヤンの更正に感動してしまう。うーん。
非マジメなる存在のズルさ
結局は期待値が低い?マジメ非マジメよりも、善と悪や優と劣の方が残酷だけど的確?哀しいかな、可笑しみの影には嫌悪や蔑視が隠れているのでしょうか。「こいつにはどうせ○○できない」からの出発。非マジメは嫌われるほどインパクトがあるとか…。ありそう。
などと考えるとわけわからんくなりますが、ギャル語には一周して尊敬の念しかありません!ブチアゲ~👍